かわいそうおばけをどう扱うべきかと、その延長線上のセクハラおばけをどう扱うべきか

考えてみたので書く。答えを書いているわけではなく、自分がどう考えるかを書いてみた。

かわいそうおばけとは

育児ハラスメントの一種

兄弟が居ないなんてかわいそう 母乳じゃないなんてかわいそう

みたいな、一方的な価値観(典型的には古い価値観に依っていたりする)で発言してくるひとたち。

前提

  • 彼らは悪気があって言っているわけではない。
    • が、悪気がないからといって許容されるものでもない
  • 言われた側は自分の育児を否定されたように感じて不快感をもってしまう

問 かわいそうおばけは沈黙すべきなのか?

沈黙すべきではない。

発言がハラスメントになるかもと萎縮して全然コミュニケーションがとれなくなる社会より、気軽にコミュニケーションとりあって、間違っていたりハラスメントになっていたら気軽に訂正をする、される社会のほうが健全だと思う。僕はもっと気軽にコミュニケーションを取り合いたいし、間違ってたら直してほしいと思っている。

沈黙すべきでない理由

かわいそうと言ってくるのは関心があるから。関心がまったくないよりマシなのではないか。

世の中には、かわいそうおばけしかいないのか?公共交通のなかで見知らぬひとに優しく声をかけられて救われた経験はないのか?適切な距離感で接してくれるひともいる。

  • まわりから全く声をかけられない社会
  • 一定数のかわいそうおばけが含まれるけど優しく声をかけてくれる世の中

という比較なら後者のほうがまだマシ。

では、どうかわいそうおばけに対抗すべきなのか

ぜんぜんかわいそうではないし、そういう言い方をされると腹が立つ、と伝えればいい。

かわいそうと言ってくるのもコミュニケーションのひとつのかたち。

かわいそうおばけに限らず、世の中には間違ったことを言うひとがいて、それら全般に対する対応策になるけど、それは違うと伝えればいい。そういうふうに気軽にコミュニケーションをとれる社会がいいし、自分が間違ったことを言ったときにも、それは違うと正してくれる社会がいい。ひとはみんな間違えるので、過ちや間違いに寛容な社会のほうが全体にとっても住みやすいと思う。

問 セクハラ発言でしかコミュニケーションできないひとも許容されるべきなのか?

法令に違反するレベルなら法に則って裁きを受けるべき。

そうでないとしても、ハラスメントです止めてくださいということをいろんな方向から伝え続けるしかない。ひとは間違えるという前提の社会のほうがいい。

問 直す気がないひとだったら?

怒って悲しんでいるということを伝えよう。

それでも直らなかったら、うっせーバカいやがらせをやめろと言って豆を投げつけて、コミュニケーションを断絶できる手段をとる、とかしかないかなあ。世の中には相容れないひとも一定数いるのは当然だしねえ。